今年のねりま沖縄映画祭は10月21日(土)「岡本太郎の沖縄<完全版>」の上映から始まりました。そしてその翌週の10月27日(金)には「一生売れない心の準備はできてるか」が上映されました。他の映画祭や映画館では見られないこの2本の映画の並びが、1つの小さな奇跡を呼びおこしました。
その奇跡とはいったい何か?
まずは「岡本太郎の沖縄<完全版>」予告編の映像をご覧になってください。すべてはここから始まりました。
俳優・井浦新さんの抑制のきいたナレーションがながれしばし間があいたあと、とても印象的な曲が流れます。
ベンチャーズを思わせるようなギター、湯煙わきたつ温泉街を彷彿とさせるような抒情的なメロディ、だが、目を閉じれば沖縄のおだやかな海も思い浮かぶ、猥雑で抒情的でどこか爽やか、何とも摩訶不思議な曲。
皆さんはどう感じられますか?
わたしはまず、この映画にあわせて作られたボーカルの無いインストルメンタル(歌のない楽器だけで演奏された曲)だなと思ったのです。不思議な味わいをもつメロディも、きっと岡本太郎という希代の天才画家と沖縄という他県にはない特殊性をもつ土地、その二つを大きく意識してくられた曲なのだろうな、そう思ったのです。
そして10月21日「岡本太郎の沖縄・完全版」の上映を迎えました。映画の最後のエンドロールが流れると、それに合わせてこの曲が流れ始めました。映画の余韻に慕っている身にとって、心に染みこむよい曲だなと改めて思いながら聴いていると、予告編では流れなかった曲の後半部分が流れ始めたのです。すると、あれ? と思う違和感を感じました。
「あれ? ボーカルが入ってる。これ、もしかしたら映画用に作られた曲じゃなくて既に発表されている曲なのかな?」
そうなんです。予告編ではイントロから始まるギターの部分しか流れなかったので、勝手にインスト楽曲だと思っていたのですが、なんと後半からボーカルが入ってくるのです。しかも、英語で。そして、そのバックに流れるリズムギターもどこか軽く明るくカントリーっぽい。
「は? そうなの? 映画用の曲じゃないってことは誰かの曲を使ってるってことね。 しかも英語だから日本人じゃないよね。誰のなんて曲なんだろ? すくなくともベンチャーズじゃないよね」
よーし、あとで監督に誰の曲なのか聞いてみよう。そんなことを考えながら、会場の撤収作業にいそしみはじめました。
映画祭では上映後、お呼びした監督を囲み、ささやかな打上げを催します(もちろんお勘定はスタッフの割り勘です)。お酒もすすみ、監督から作品に関する楽しい話も聞くことができ、そろそろお開きになるかというその時間、そうです、私はあの曲についてまだ葛山監督に聞いてなかったのです。お開きになってから葛山監督に聞いてみました。
「監督、映画の最後にながれたあの曲、予告編でも使われていて、とても印象に残ったんですが、あれっていったい誰のなんていう曲なんですか?」
葛山監督「ああ、あれはロニー・フレイという人が作った『ロード・トゥ・ナミノウエ』という曲ですよ」
「そうなんですか。昔の曲ですか?」
葛山監督「ええ。YouTubeで『ロード・トゥ・ナミノウエ』で検索してみてください。聴くことができますから」
「そうなんですね。ありがとうございます」
葛山監督「あの曲は電話して使用許可をいただいたんです」
直接電話して使用許可までいただいたなんて、そうとう監督のこだわりの1曲なのだろう。
家に帰ってパソコンをたちあげ、さっそく探してみました。
『ロード・トゥ・ナミノウエ』
するといろいろ出てくるけど、あの曲が出てこない。
「そうか、英語の曲だから英語で入れたほうがいいか」
そう思い英語で検索し直しました。
『road to naminoue』
するとでてきました。それがこちらの動画です。
モノクロで撮られた昔の神社が映ってます。中にはボロボロになった鳥居も映っています。2つある鳥居の奥には神社のお社らしきものは見えませんね。空襲で破壊されたのでしょうか? 動画の解説部分には以下のような文章がありました。
NAMINOUE SHRINE IN NAHA OKINAWA, RYUKYU ISLANDS. PHOTOS FROM 1945 TO 1958.
これはどうやら那覇にある波之上宮という神社の1945年から1958年にかけての写真を集めて編集された映像のようです。私は波之上宮も波之上という地名も知りませんでした。調べてみると波之上宮とはこのような神社でした。
波上宮は那覇市若狭に突き出た断崖の上に立つ神社。創建年代は分かっていないが、首里王府が「琉球八社」の一つに位置付けていた。波上宮付近は沖縄の人々が月見や海水浴を楽しむ憩いの場だった。31年には、「那覇市営波上プール」がオープン。海水を引き入れた長さ25メートル、幅14.8メートルのプールが無料開放された。
当時、遊びにいっていた男性は「プールは男だけ。『メルマン』(水泳パンツ)をはいて泳いだ。子どもの2倍ぐらいの深さがあった」と回想する。波上宮は1890年に沖縄で唯一の官幣小社になり、国家神道のシステムの中で格付けされた。その年から毎年5月17日に例祭「波上祭(なんみんさい)」が開かれ、角力(すもう)大会などがあった。戦争が始まると、戦地に赴く若者の「武運長久」を祈願する場所ともなった。男性は、「バンザイ、の後に家族との別れを惜しんでいた」という。
由緒ある神社であるとともに沖縄の時代を反映してきた神社でもあったのですね。
さらに動画のコメント欄には英語で、この曲にまつわる想いを寄せた投稿が多く寄せられていました。
・これを父に見せたところ、オープンリールプレーヤーでこれを持っていると言いました。これを聞いて彼は涙を流しました。どうもありがとうございます。私の母は沖縄出身です。南端にあります。
・波之上で44年間連れ添った妻と出会った…これは永遠の私たちの歌…。
音楽のいいところはこういうところですよね。当時の想いや光景や匂いまでもが蘇ってきます。
そうなるともっとこの曲について知りたくなりググってみました。すると、なんと、こんな記事を見つけちゃったのです。
コザまちディスコグラフィー Ronnie Fray Capersの「ROAD TO NOMINEWEE」
そこにはこう書かれています。
この曲は1960年後半頃、ジュークボックスや、米軍のラジオで頻繁にかかっていた曲です。 曲の内容は、那覇の波の上での思い出を歌った「波の上慕情」的な、外国人が歌う沖縄のご当地ソングなのですが、巷では、ほとんど見かけないレコードです。 この曲を作ったロニー・フレイさんは、1967年にツアーで来沖した際、波の上で過ごした時間を想い故郷のカナダに帰ってから1968年にアルバム「Why Not」の中の一曲にしました。 そして、この年に再び沖縄を訪れた際、ラジオやジュークボックスから、自分の曲が流れていてビックリしたそうです。
ふむふむ、ロニー・フレイさんはツアーで来沖してカナダに戻ってからこの曲を作ったのね。そうか。そう思いながら、読み進めると、記事の最後に衝撃的な事実が記述されておりました!
それから月日が経ち1998年頃に「やちむん」というバンドが、波の上にあったステーキ・ハウスのジュークボックスでこの曲を聴いて「ロード・トゥ・ナミノウエ」という曲を作っています。「ROAD TO NOMINEWEE」から「ROAD TO NAMANUI」そして「ロード・トゥ・ナミノウエ」と出世魚のようなレコードです。
え? やちむん? やちむんて次に上映する「一生売れない心の準備はできてるか」で主演している奈須重樹さんのバンド名じゃない? ……。他にやちむんてバンドある? ないよね。……。え? こんな小さな映画祭で上映する2本の映画で、こんな繋がりをもつなんてことある? ある意味、奇跡じゃない? そうじゃない? ……。ねりま沖縄映画祭、来てない?
などと、夜中にひとりで勝手に興奮し、その勢いのままFacebookに上記の内容を記すと、「一生売れない心の準備はできてるか」の當間監督より返信をいただきました。
當間監督、ありがとうございました。そしてこれがこの短編「ROAD TO NAMANUI」です!
6分半の短編なのですが、30分以上のドキュメンタリーを見ているような感覚に陥りますよね。きっと情報と感情がうまい具合にギュッと詰まっているからでしょうね。
奈須さんは波之上にあるステーキハウスのジュークボックスでこの曲を聴き、そして「ロード・トゥ・ナミノウエ」という曲を作ったと仰っています。
考えてみるとこれって凄いことだなと思うのです。
奈須さんがこの曲を聴いたのは1990年代、もう既に原曲の「Road To Naminoue」が発売されてから20年以上が経過し、レコードも売ってない、ラジオやTVでも流れない、また今のようにYouTubeで幾万もの曲がアップされ気軽に大昔の曲が聴けるような状況にもない、そんなとき奈須さんは波之上のステーキハウスのジュークボックスでこの曲と出会ったのです。
我々がふだん「あ、いいな」と思う曲って、様々な思惑が絡んだ「売れてる」曲の中からそう感じさせられることがほとんどではないでしょうか? だが、奈須さんは、誰が歌っているのかも分からないジュークボックスの曲に感動し、それに影響されて「ロード・トゥ・ナミノウエ」という素晴らしい曲を完成させた。ミュージシャンの感受性と表現力の凄さってこういうことなんだろうなと思い知らされました。さすが「一生売れない心の準備はできてるか」を歌い続ける奈須さんならではのエピソードだと思うのです。
そして奈須さんの「ロード・トゥ・ナミノウエ」は今年第2弾で上映された映画「一生売れない心の準備はできてるか」の最後の曲として演奏されました。そうなのです。2023年第8回ねりま沖縄映画祭の第1弾「岡本太郎の沖縄<完結版>」と第2弾「一生売れない心の準備はできてるか」で同じタイトルだけど違う、違うけど同じテーマを持つ曲がエンディングに流れたのです。これってやっぱ偶然とは言え、なかなかないことですよね。
映画上映のあと開催された打上げで當間監督と奈須さんの間でこの曲について、こんな会話が交わされました。
當間監督「『ロード・トゥ・ナミノウエ』って奈須さんが息子さんにあてて作った曲だよね」
奈須さん「ちがうよ」
當間監督「え? 違うの?」
奈須さん「僕は自分が経験したことしか曲に書かないし」
當間監督「だって、君が生まれるずっと前とか、君って言葉を使ってるじゃん」
奈須さん「いや、あれは若いときの自分にあてて歌っているの」
當間監督「え? そうなの」
奈須さん「よく聴いてよ。これって初めて沖縄に来た波之上にいる自分にあてて歌った曲なんだから」
當間監督「そうなんだ」
奈須さん「アンジェラ・アキの『十五の君へ』の奈須版だよ」
當間監督「そうかぁ。いや~、それ、今日初めて知った」
長年付き合いのあるお二人の間に、今回の物語をしめるような奇跡がまたひとつ起こりました。
それでは最後にねりま沖縄映画祭の後夜祭として行われた阿佐ヶ谷「うねり亭」で奈須さんと育シェルさんが歌う「ロード・トゥ・ナミノウエ」をご覧ください。
僕はまだ見たことがない「波之上宮」に行きたくなった。